“現代的な意味”での「歩き遍路」が始まったのは、おおよそ「1990年代以降」。
本州と四国を繋ぐ「橋」の完成(1988年:瀬戸大橋)に伴い、四国方面への観光客の数は激増。
特に関西方面との橋(1998年:明石海峡大橋)が運用開始されてからは、車やバスだけでなく「歩き遍路」の数も飛躍的に増えた。
主に90年代から2000年代前半頃にかけて、歩き遍路に関する“情報”を得ようとすれば、それは経験者による「体験記」や「講演会」といったモノが上げられましょう。
身近に“四国遍路経験者”がいない人の場合、書籍を購入したり講演会で体験談を聞いたりして、情報を収集、整理していくしかなかったワケです。
しかしながら90年代の終わり頃より、「インターネット」が徐々に広まりを見せるように。
そして、そのインターネット上に「四国遍路の体験記」を記す方々が現れた。
当初は“ネット環境”の整備状況から、その影響力は微々たるものでありましたが、おおよそ「2000年代前半頃」を境に、書籍による情報収集から「ネットによる情報収集」へと大きくシフトチェンジ。
ココに、自身の体験をネットで配信し、体験者同士で情報交換を行い、あるいは、これから遍路を志す者がネットで情報収集するという時代が、始まったワケである。
この状況を“ネット遍路”と呼ぶのであれば、それは少なからずの“危険性”を孕んでいると言えなくもない。
少々長くなるが、以下に「ネット遍路の歴史」を概観。
1、ネット創世記
“今”とは異なり、90年代当時のネット環境においては「画像」のアップロードは極力制限され、そのほとんどは文章のみで構成された「テキストサイト」であった。
したがって、まだまだ「本より読みにくいレベル」のモノであり、それほど大きな影響力を与えるものではなかった。
しかしながらそれらの体験記は、「遍路経験者」にとっては自己の遍路行と重ね合わせ、あたかも自分も一緒に歩いているかのような気分に浸れる“追体験の場”となり、「これから遍路を志す者」にとっては、近い将来に体験する遍路行における“シュミレーション”、あるいは“指針”としての役割を果たすことにもなる。
この時代のネット遍路を一言で表現するなら、それは“穏健派”。
遍路について語る者を特段に排除したりせず、皆が皆「遍路について大いに語り合いましょう」といった、和気藹々としたモノでありました。
2、2000年代前半
2000年代に入ると、それまでのデータ配信量や接続時間により課金される“従量制”の時代から、一日中インターネットに接続しても料金は変わらない“定額制”の時代へ。
さらに、こういった流れに呼応するように「ポータルサイト」(『Yahoo』や『infoseek』など)や「プロバイダ」(インターネット接続会社)による「ホームページ開設領域の提供」が無料化すると、数多くの「遍路サイト」がネット上に現れ、そして、それらのサイト同士での“交流”も始まる。
その“交流の場”となったのは、90年代から遍路と名の付くものを全て網羅しようと試みていた「某・ビックサイト」であったり、“匿名”を柱に禁じ手の少ない書き込みを特徴としていた「某・掲示板」であったり、と。
この時点で“穏健派”と“掲示板派”での対立は少なからず起こっていたが、それはまだ表面化していない。
いずれにせよ、2000年代を境にネット環境がありさえすれば誰もが気軽に「ネット上で遍路について語り合う」ことが可能となり、それまで主流とされてきた「遍路関連の書籍からの情報収集」が、一歩後退することになった。
3、2000年代半ば
2005年頃からは、「ブログ」がネット上を席巻。
このブログにおいては、従来は少なからず必要とされた「ウェブ知識」(例えばhtml言語など)がなくとも更新が可能となり、これまでにウェブ上で遍路体験記を公開する際に“ネック”とされた「画像のアップロード」も容易となったことから、ウェブ上には信じられないほど多くの「遍路ブログ」が誕生。
さらには、この頃から“定額制”が導入されるようになった「携帯電話からも更新が可能」となり、その数は一気に増大。
この「携帯電話による更新」が可能になったことにより、従来の「遍路行終了後の体験記」ばかりでなく、今まさに遍路を行なっている最中の“リアルタイム更新”への道も開かれる。
そして、この2000年代半ば頃に勢力を増してきた「ブログ勢力」の台頭により、ネット上には良くも悪くも遍路情報が氾濫することにもなる。
4、2000年代後半
2009年頃からは『ツイッター』の利用者が増大。
“リアルタイム”の特性を生かした『ツイッター』の登場により、「ブログ」や「掲示板」よりもさらに容易に、遍路情報がウェブ上に氾濫。
しかも、携帯電話の発達により「画像投稿」も容易となり、さらには「動画投稿」もそれほど困難ではなくなり、よりリアルな遍路情報の配信が可能となった。
このように「誰もが情報配信可能」になるということは、同時に「不必要な情報も氾濫する」ということでもあります。
そこでは情報の精度を見極める“メディア・リテラシー”(リンク先:『Wikipedia』)の能力がより一層要請され、感覚的でその場限りのモノが多い“遍路経験値の少ない者の発する情報”に関しては、意識的に排除する必要性が生じる。
このように、好むと好まざるとに関わらず、「遍路に関する情報はインターネット上から得る」ことが当たり前となった、現代。
何らかの「遍路情報」を求めて星の数ほどのウェブサイトを渡り歩く、いわば「ネット遍路」が存在するのも当然のことでしょう。
しかしながら、当ブログ『高野山⇔四国、往還の記』がそういった方々へ“ご利益”をもたらすかと言えば、それは保証の限りではない。
否、むしろ“一般レベルの遍路情報”、より具体的には「遍路行に『出会い』や『癒し』を求めるという方」にとって、このブログは
今現在の構想段階で、このブログの記述内容が他の「遍路ブログ」と大いに異なるのは、以下の三点に集約されそうです。
- 当ブログは四国八十八ヶ所の歩き遍路の体験記ではない
- “ネット遍路”への嫌悪感に満ちている
- 筆者の“遍路観”は一般のモノとは多いに異なる
したがって、このブログの記述内容を参考に「歩き遍路の情報」を得ようというのは無駄以外の何物でもなく、また、歩き遍路の経験者(四国八十八ヶ所)が“追体験”をしようにも、そんな方が“同じルート”を歩いた経験がない以上、このブログの内容は理解できないモノとなりかねません。
第二の「“ネット遍路”への嫌悪感に満ちている」というのは、言うなれば「ネット創世記から2000年代前半期における“ネット遍路への反発”」である。
とりわけ毎日フルマラソンに近い距離を歩くことを強いられるような「歩き遍路」において、いかにも楽しいイベントであるかのように語り合うネット遍路には、全くと言ってよいほどに賛同することが出来なかった。
ワタクシが2003年にリアルタイムで遍路行の状況を配信した際、その試みはハッキリと申し上げて
“穏健派”が集う「某ビックサイト」からは“危険分子”扱いをされ、やりたい放題の禁じ手の少ない「某匿名掲示板」からは“殺意”にも似た感情を剥き出しにされた。
その理由はカンタン、ワタクシに配信には「双方に都合の悪い情報が含まれていた」からである。
それを考えれば、第三の「筆者の“遍路観”は一般のモノとは多いに異なる」というのも、実に“自然”なモノであろう。
つまり、ワタクシ自身の体験もブログの記述も「『遍路に癒しを求める人』にも『やりたい放題行う人』にも役立つ情報はない」というコトだ。
いわゆる“経験者”(歩き遍路経験者)という者は、自身の経験を“他人と分かち合いたい”といった感情を持つのが常。
別にそれ自身を否定するつもりはないが、それを
まだ時間はあります。
このブログで長文を読まされ不快感を植えつけられるよりも、「他のサイトから情報を得る方が有益」です。
少なくとも「チョッと遍路に興味を持った人」や、昨今の“四国の観光ブーム”や“バ韓直人の税金無駄遣い遍路”に乗せられて「気軽に情報を得たい」なんて方にとって、当ブログはオススメできる内容ではございません。
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