google-site-verification: google29e9fe9537bcd1c0.html 高野山⇔四国、往還の記: “癒し遍路”や“哲学的遍路”に疑問を持つ方々へ

2012-10-12

“癒し遍路”や“哲学的遍路”に疑問を持つ方々へ

 遍路というものは移動方法の手段を問わず、日数、費用、体力的に厳しいものであることには変わりはない。とりわけ、その移動方法が「徒歩」であった場合、全ての移動方法の中でも過酷さは群を抜く。
 

 ところで、そんな過酷であるはずの「歩き遍路」が、おおよそ10年ほど前より“癒し”をキーワードに「楽しいもの」であるかのように喧伝され、やがて誤解されるようにもなった。
 その引き金となったのはいくつかの「出版物」。2000年頃までにお ける遍路情報の主役と言えば、間違いなく本や雑誌の類であった。
 苦しいはずの遍路が、多くの出版物では良い面(楽しい面)ばかり強調されるようになり、とりわけ戦後の左翼世代が遍路道に迷い込むようになってからは、彼らが愛したコトバ“癒し”や“自分探し” なる中途半端な哲学用語で遍路が“理論武装”されるようになり、遍路は本来的な暗い世捨て人的な意味から別の意味へと、解釈されるようにもなった。

 それを受けて2000年頃を境に、「ネット」が遍路情報の主役に躍り出る。
 そのネット情報では「如何に遍路は楽しいものであるかばかり」が好んで語られるようになり、それ以外の本音とも言える感想を述べる者は、短時間で圧力(?)がかけられ、いつの間にやら哲学的な意味をまとった“特定の遍路観”ばかりが喧伝されるようになった。

 しかしながら・・・  そういった“哲学的遍路観(?)”に対して反感を持つ方もおられるでしょう。言うなれば「遍路はそんな“綺麗事”では済まされない」として。
 とりわけ、そういった感想を持つ人は数々の犠牲や苦難を乗り越え一気に四国88ヶ所を歩いた「通し打ちを敢行した人」 、さらに、そこで自身の限界を超えて“あるレベルを突破した人”であると思われます。
 実はそんな遍路観に反発するような人にこそ、このブログは読んでいただきたいものだと思っているのです。

おそらくは“哲学的遍路”に反発するような人は、既に「歩き遍路の経験者」であり、四国へ出発するに当たっては「相当な覚悟を決めて遍路に出た方」でもありましょう。
 そんな方にとって、「遍路は癒しである」とか「遍路は自分とは何かを求めるものである」とか言われても、ハッキリ言ってピンとは来ない(苦笑)。
 確かに、遍路中の出会いや思わぬ目にした光景で“癒し”や“感動”が得られることはあろう。
 とりわけ、苦しい中で現地の人に親切にされたり、日頃は目にすることのない美しい景色が目に飛び込んできたりするといったことは、多くの遍路経験者の語るところだ。

 しかしながら“実際”はどうか?
 日々、時間に追われ体力的な苦痛を強いられ、心の中は不安感が支配し、いつの間にか貴重な貯金残高が切り崩されていく・・・・・・。 
 それでいて遍路を行うことで“自分の求めるもの”が得られたかと言えば、残念ながら答はNOであったりする・・・・・・。 
 それは88番札所まで回っての結願(けちがん)を迎えても変わらず、終わりであるはずなのに終わったと思うことが出来ず、また、新たな“不安感”にさいなまれていく・・・・・・。

 いくら人との出会いや美しい景色を目にして癒されたとしても、それはほんの一瞬。
 常に得体のない苦しさに心身ともに支配され続けるのが、実際の遍路行であろう。

 そんな遍路を終えた感想といえば、実はこんなモノだろう。
 「コトバ」にしようとしてもコトバにはならず、「達成感」こそ確かにあるものの、何かを得られたのかと言えば、それは答えに窮する。
遍路って一体何なのだろう・・・・・・?

 その遍路の“答え”の探求は、遍路を終えてからも探し続けなければならない。  その答えを求めるべく、遍路を終えた“経験者”の多くは、書籍やネットにおける体験記や書き込みを熟読し、追体験を行うだろう。
 時には安くもない書籍代を支払って、また時には夜を徹して個人サイトやブログの記述を読み漁る。

 しかし残念なことに、そこに書かれているものの大半は“綺麗事”ばかりで埋め尽くされ、自身の求める答えとは程遠いものばかりが並ぶ。

 それも無理のないことだ。
 2011年度の秋頃から、ネット上ではステマ」(ステルスマーケティング:リンク先『Wikipedia』)という用語が席巻したが、実のトコロ、遍路情報においてそれなりの“権力”を持つ連中の大半は、実は「遍路や四国を宣伝することで利益を得ている連中」なのだ。
 言い換えれば、彼らの多くは“遍路利権保持者” だ。
 自分たちの利権を守るべく、臭いものにはフタをして、殊更に美しいものばかり宣伝をする。
四国遍路のはじめ方―お経を唱えたことのない人も (アスカビジネス)
 そんな連中の“掌”(てのひら)に載せられて発言している以上、自身の本音は覆い隠されるし、下手に本音を、言うなれば遍路に関する“タブー”でも披瀝しようものなら、その記述は闇へと葬られかねない。


 他人の遍路観に全面的に支持することも出来ず、かと言って自身の体験をうまく表現することも出来ず心のモヤモヤだけが残る・・・・・・。
 そんなアナタへ、言うなれば“はぐれ遍路”である方々にこそ、このブログを熟読していただきたい。


 以前から・・・
 この点に不満を持ち孤軍奮闘してきた一人が、当ブログの執筆者だ。
 『海の遍路日記』当時から一番やりたかったのが“リアルな遍路日記”であり、そこでは清濁含めて禁じ手ナシの記述を行う必要があると、ずっと思い続けてきたものです。

 実際、『海の遍路日記』と題されたサイトでは「裏遍路レポート」というカタチで、そういった記述を行ったりもしました。 

 当然、そういったことを記述しようとすれば、自ずから自身の恥部も描かねばならなくなるのだが、例え身を削られるような思いをしても、そういった剥き出しの“生の遍路情報”をこそを求める人がいると思うし、また、それを読んで“覚悟”を決められる人にこそ、遍路や歩き遍路を体験して欲しいと思っていたのだ。


 したがって当ブログでは、自身がこれまで溜め込んできた“タブー”に類する情報も含め、ここに解禁しておきたいと思う。

 まあそうは言っても、“マジでシャレにならないネタ”もかなりあるから、その辺はワザとボカして記述することになるがw



 最後に。
  こういった“生の遍路情報”の重要性を真に気付かされたのは、2003年当時の香川県における、ある人の出会いからだ。
 その“ある人”とは、香川県在住で野宿を交え、一気に88ヶ所を歩ききったという人物。 
 その人のことは出会ったシチュエーションから、勝手に“夕暮れの刑事(デカ)” と名付けさせていただくが(笑)、その“デカ”は、ワタクシにこう尋ねてきたのだ。
「遍路って“癒し”なんですかね?」
 それに対してワタクシは、深く考えることもなくサラリと、こう答えました。
「遍路は“破壊”だよ」


 解説を交えなければ禅問答のようでサッパリ意味の分からぬ会話だと思われるが、遍路を通して“あるレベルを突破した者”であれば、その意味は“身体が理解している”であろう。


 そんな身体レベルでは理解しているものを“言語化”してみようというのが、当ブログの肝要な点でもあるのです。

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