google-site-verification: google29e9fe9537bcd1c0.html 高野山⇔四国、往還の記: 2008

2008-02-24

謝罪文!?

 遍路(「歩き遍路」の場合)というのは、一日に8時間以上歩いたりするものなのです。
 そのため、体力を回復させるためにも

1時間に一度、必ず休憩する

なんて不文律があったりするのですが、このブログでも、その「休憩」を導入しようかと・・・・・・。


 この、カテゴリ「休憩」(当ブログ『Blogger』では「ラベル」と呼称)では、多少、「遍路と離れたこと」などについて記していきたいと考えている。

 実際の遍路でも「休養日」などを設けて、その日を「観光」に費やしたり、「温泉」に入ったりすることもあるのです。事実、愛媛県松山市にある「道後温泉」(画像)は遍路の間でも人気があり、その周辺に2~3泊して“骨休め”をする遍路が如何に多いことか。
 ただし、観光地としても全国に名を轟かせる「道後温泉」。他地域と比べて「宿泊料金」が高めに設定されており、それゆえに「宿探し」には苦労させられるという問題があるのですが・・・・・・。


 今回は、このブログの「旅行記」的な部分を無視し、私個人がチョッと、「謝罪」しなければならないことを・・・・・・。


 余程「サイト運営」や「アフィリエイト」に興味のおありの方でなければ分からないことで申し訳ないが、このブログには『Google AdSense』様から広告をいただいており、それにも関わらず、私のミスで「アマゾンの広告」を入れてしまうというミスを犯してしまったワケだ。
 今さら「どの記事」であるという指摘は控えるが(苦笑)、これは「規約違反」に抵触する恐れがあり、今後、このブログを更新していく上での“障害”ともなりかねない。

 この「ミス」に気づいたのは、実は「つい先程」のハナシでありw 他のレンタルブログのアフィリエイト基準を調べている内に、自分の犯した重大なミスに気づいた次第で・・・・・・。


 まあ、こんなことを書いたとしても、「読者」の方からすれば

そんなの関係ねー☆

というコトなのでしょうが、「私個人」からすれば、ブログ運営をしていく上で「テメーで地雷踏んじまったヨ・・・・・・」と、泣くに泣けない気持ちでイッパイでございますよw



 えー、御迷惑をおかけいたしました、各方面の皆様。
 浅尾美和の競技用衣装の“クイコミ”よりも深く反省いたします。
 今後の再発防止に全力を尽くしますゆえ、何卒、「お目こぼし」の程を・・・・・・。



・・・・・・と、誰に謝罪をしているのかは謎であるがw 本当は該当する記事を「自分で修正」したいのだが、それができなくなっている故、こうして「謝罪文」(!?)を記した次第。



 
 ハイ、今日は「観光地での宿探しの難しさ」についてお送りいたしましたw
(それにしても、「こういった記事」をエントリするようになると、“私の性格” からして「ブログの本分から外れていく」可能性が高いんだよな・・・・・・。)



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2008-02-19

「番外・別格巡り」とは

 前回は「遍路とは何か」ということについて説明し、その意味を「空海の修行地である八十八の寺を参拝すること」と、定義した。

 ただ、私が『海の遍路日記』と『四国・小辺路・奥駆道、踏破記』で行ったのは「八十八ヵ所巡り」に留まらず、それに

番外・別格巡り
というものを付加した。

 では、その番外・別格巡りとは何か──。

 そのことを、以下に記しておきたいと思う。



別格霊場へのいざない
近年混沌としたこの時代に、癒しを求めさまざまな人々が四国を巡られておられます。
四国は弘法大師の御生誕の地でもあり又御修行の地でもあります。御大師さまにまつわる信仰や伝説にもとづいて開かれた寺々は、八十八カ所霊場以外にもたくさんあります。
 別格霊場はその中でも御大師さまとご縁の深い寺院二十ヶ寺が結集した霊場です。この霊場の中には弘法大師さまをご本尊とする寺院も多くございます。
 別格霊場はすでに八十八ヶ所の巡拝を終えた方が改めてこの二十ヶ寺を巡り、あわせて百八ヶ寺として人間の百八煩悩を滅するのもよし、四国巡拝の道中に立ち寄られてみるのもよし、衆生を救わんとされる御大師さまの御誓願が伝わる親しみのある霊場であり、何と申しましても昔ながらのお遍路さんに対するお接待の心が残されている霊場です。
(強調などは「引用者」による)



 「引用文」にあるように、四国に点在する「八十八ヵ所霊場」は、弘法大師・空海を開祖と仰ぐことが多い。しかしながら、空海(「お大師様」「御大師さま」とも呼ぶ)によって開かれた寺、もしくは本尊とする寺は「八十八ヵ所以外にもたくさんある」のであり、「別格霊場」とは、そのような寺の中でも「御大師さまとご縁の深い寺院二十ヶ寺が結集した霊場」であるとしている。
 近年、

88+20=108
といった計算式からも分るように、四国八十八ヵ所と別格二十霊場とを同時に参ることは「人間に備わる108の煩悩を滅却することである」として
百八煩悩消滅お大師様の道
という呼称と共に、今では“別格巡り”というものは大いに賑わってきているものだ。



 ただし・・・、“別格”という名称が付されているからと言って、その寺の“格が特別に高いわけではない”ということにも注意。

 寺同士の“格”(つまりは“序列”)はほぼ定まっており、別格霊場に加盟している寺が四国八十八ヶ所の寺よりも上位に格付けされるということはありません。



 「別格」という意味は、上記の引用と説明で理解できたであろう。
 次に「番外」であるが、これも、上記からおおよその答えは出ている。
 それを示すなら

1~88札所以
と考えればよい。

 「上記の引用」に推察できるように、「四国」というのは弘法大師・空海の生誕地であり(実際の生誕地は、現在の「香川県」)、また、修行地でもある。その空海の残した“足跡”というものは四国全土に及び、決して「八十八ヵ所のみ」ではないのだ。
 そのような、八十八ヵ所には含まれない寺で、自らの“存在”を主張するようになった例として、上述の「別格二十霊場」が挙げられるが、その他にも、数多くの寺が存在している。

 それらの“一端”を示すと、以下のようなものが挙げられよう。
・「四国三十六不動霊場
・「四国三十三観音霊場
・「四国曼荼羅霊場
 このような「●●霊場」と呼ばれるものは、大小含めて、四国には数多くあり、私の「番外・別格巡り」では、それらを一つでも多く参拝できるよう試みたのである。


 他にも、直接には弘法大師・空海に関係がなくとも、数多くの「修行者」(修験者)や江戸時代以降の「遍路」が参拝した場所にも、足を運ぶように努めた。
 それらは、「奥ノ院」と呼ばれる場所であったり、「神社」であったり、地元の有志の方々が管理されているだけの「お堂」であったりと、形態は様々だ。

 そのような「1~88札所に以」の場所を参拝することを、私は「番外巡り」と呼んでいるのである。



 以上述べた、「番外・別格巡り」という巡拝方法は、何も私の“専売特許”というのではなく、1990年に初版が発行された『四国遍路ひとり歩き同行二人』(へんろみち保存協力会)によって“発案”されたものなのだ。
 ただ、この本を待つまでもなく、弘法大師・空海を始めとする修行者や江戸時代以降の遍路は、四国において「四国八十八ヵ所」だけを参拝するだけではなく、その他の、数多くの場所にも足を運んでいたのだ。

 それを考えれば、私の行った「番外・別格巡り」というものは、現在のような四国八十八ヵ所巡りに“特化”した現状を鑑みれば、

昔ながらの遍路のスタイルを“踏襲
しているという違いがあるのだ。
 このことは、私個人が「自画自賛」しているというのではなく、四国で出会った多くの方々がそのように仰ってくれているものだ。






 ここにおいて、「読者」の方々に、注意を。


 四国八十八ヶ所巡りに際し、それにプラスして“番外・別格巡り”が必要かと問われれば、
その必要はない
と答えておきます。
 四国八十八ヶ所は88の寺を参拝することで“完結”するものであり、それに加えて別格霊場や高野山まで参拝するのは、決して義務ではありません
 

 
 ひょっとすると・・・、読者の方々の中には、このブログ内の記事を読んで「自分の『遍路行』に役立てよう」と、考えておられる方もいるかもしれない。
 当然、誰もが閲覧できる「公開ブログ」を運営している以上、私からそのことを“咎める”ことは出来ませんが、ただ、今この記事をお読みになっている方が、いまだ遍路経験がない「初心者」であるならば、このブログを読むことはオススメ出来ない

 「四国八十八ヵ所」を参拝することは、“それ自体”で「かなり厳しい修行」になるのだ。それは、参拝“手段”の「徒歩」「車」を問わず、相当苦しいもの。多くの人は、徳島県にある「一番札所」からスタートするのだが、そのまま、遍路を続けて香川県の「八十八番札所」まで“完遂”する人は、それほど多くない。
 これは、自身のスケジュールなどの都合で「一度に全ての札所を巡ることができない」というのではなく、何らかの理由で「途中で遍路を諦める例が多い」ということだ。

 もちろん、遍路を途中で諦めるという場合、その理由は「人それぞれ」であろうが、少なくとも、初めて遍路を志す人」であるならば、「八十八ヵ所巡拝に徹する」のが「遍路完遂への近道」であり、そのことから、さらに難易度の高まる“番外・別格巡り”などを考えるべきではないだろう


 このブログでは自分の行ってきた遍路行を説明する都合上、番外、あるいは別格霊場の説明をしているだけなのです



 そうなりますと、その四国八十八ヵ所以外に“主眼”が置かれた“このようなサイト”から、「情報」を仕入れることも、得策とは言えますまい。
 むしろ、現在では“初心者向け”の出版物やインターネット・サイトが数多くあるのだから、そこから「四国八十八ヵ所のみに特化した情報」を得るようにすることを、オススメしたいものです。


 その「例」として、以下の書籍を挙げておくことにする。

必携!四国お遍路バイブル (集英社新書)必携!四国お遍路バイブル (集英社新書)
横山 良一


Amazonで詳しく見る by G-Tools
ちなみに・・・

 上記の著者である「横山氏」は、私の得た情報からすると、四国八十八ヶ所を数回歩くことに成功し、さらには、今回のエントリで述べたような番外札所の多くを、踏破しているそうだ。
 そういった経験豊富な立場から「遍路に必要な情報」(特に歩き遍路)を厳選、しかも、文章力がそれなりにあり、分かりやすく簡潔にまとめてられている。

 「遍路に関する情報を大掴みに得たい」という方などには、最適な書物であろう。


続きを読む

「番外・別格巡り」とは

 前回は「遍路とは何か」ということについて説明し、その意味を「空海の修行地である八十八の寺を参拝すること」と、定義した。

 ただ、私が『海の遍路日記』と『四国・小辺路・奥駆道、踏破記』で行ったのは「八十八ヵ所巡り」に留まらず、それに

番外・別格巡り
というものを付加した。

 では、その番外・別格巡りとは何か──。

 そのことを、以下に記しておきたいと思う。



別格霊場へのいざない
近年混沌としたこの時代に、癒しを求めさまざまな人々が四国を巡られておられます。
四国は弘法大師の御生誕の地でもあり又御修行の地でもあります。御大師さまにまつわる信仰や伝説にもとづいて開かれた寺々は、八十八カ所霊場以外にもたくさんあります。
 別格霊場はその中でも御大師さまとご縁の深い寺院二十ヶ寺が結集した霊場です。この霊場の中には弘法大師さまをご本尊とする寺院も多くございます。
 別格霊場はすでに八十八ヶ所の巡拝を終えた方が改めてこの二十ヶ寺を巡り、あわせて百八ヶ寺として人間の百八煩悩を滅するのもよし、四国巡拝の道中に立ち寄られてみるのもよし、衆生を救わんとされる御大師さまの御誓願が伝わる親しみのある霊場であり、何と申しましても昔ながらのお遍路さんに対するお接待の心が残されている霊場です。
(強調などは「引用者」による)



 「引用文」にあるように、四国に点在する「八十八ヵ所霊場」は、弘法大師・空海を開祖と仰ぐことが多い。しかしながら、空海(「お大師様」「御大師さま」とも呼ぶ)によって開かれた寺、もしくは本尊とする寺は「八十八ヵ所以外にもたくさんある」のであり、「別格霊場」とは、そのような寺の中でも「御大師さまとご縁の深い寺院二十ヶ寺が結集した霊場」であるとしている。
 近年、

88+20=108
といった計算式からも分るように、四国八十八ヵ所と別格二十霊場とを同時に参ることは「人間に備わる108の煩悩を滅却することである」として
百八煩悩消滅お大師様の道
という呼称と共に、今では“別格巡り”というものは大いに賑わってきているものだ。



 ただし・・・、“別格”という名称が付されているからと言って、その寺の“格が特別に高いわけではない”ということにも注意。

 寺同士の“格”(つまりは“序列”)はほぼ定まっており、別格霊場に加盟している寺が四国八十八ヶ所の寺よりも上位に格付けされるということはありません。



 「別格」という意味は、上記の引用と説明で理解できたであろう。
 次に「番外」であるが、これも、上記からおおよその答えは出ている。
 それを示すなら

1~88札所以
と考えればよい。

 「上記の引用」に推察できるように、「四国」というのは弘法大師・空海の生誕地であり(実際の生誕地は、現在の「香川県」)、また、修行地でもある。その空海の残した“足跡”というものは四国全土に及び、決して「八十八ヵ所のみ」ではないのだ。
 そのような、八十八ヵ所には含まれない寺で、自らの“存在”を主張するようになった例として、上述の「別格二十霊場」が挙げられるが、その他にも、数多くの寺が存在している。

 それらの“一端”を示すと、以下のようなものが挙げられよう。
・「四国三十六不動霊場
・「四国三十三観音霊場
・「四国曼荼羅霊場
 このような「●●霊場」と呼ばれるものは、大小含めて、四国には数多くあり、私の「番外・別格巡り」では、それらを一つでも多く参拝できるよう試みたのである。


 他にも、直接には弘法大師・空海に関係がなくとも、数多くの「修行者」(修験者)や江戸時代以降の「遍路」が参拝した場所にも、足を運ぶように努めた。
 それらは、「奥ノ院」と呼ばれる場所であったり、「神社」であったり、地元の有志の方々が管理されているだけの「お堂」であったりと、形態は様々だ。

 そのような「1~88札所に以」の場所を参拝することを、私は「番外巡り」と呼んでいるのである。



 以上述べた、「番外・別格巡り」という巡拝方法は、何も私の“専売特許”というのではなく、1990年に初版が発行された『四国遍路ひとり歩き同行二人』(へんろみち保存協力会)によって“発案”されたものなのだ。
 ただ、この本を待つまでもなく、弘法大師・空海を始めとする修行者や江戸時代以降の遍路は、四国において「四国八十八ヵ所」だけを参拝するだけではなく、その他の、数多くの場所にも足を運んでいたのだ。

 それを考えれば、私の行った「番外・別格巡り」というものは、現在のような四国八十八ヵ所巡りに“特化”した現状を鑑みれば、

昔ながらの遍路のスタイルを“踏襲
しているという違いがあるのだ。
 このことは、私個人が「自画自賛」しているというのではなく、四国で出会った多くの方々がそのように仰ってくれているものだ。






 ここにおいて、「読者」の方々に、注意を。


 四国八十八ヶ所巡りに際し、それにプラスして“番外・別格巡り”が必要かと問われれば、
その必要はない
と答えておきます。
 四国八十八ヶ所は88の寺を参拝することで“完結”するものであり、それに加えて別格霊場や高野山まで参拝するのは、決して義務ではありません
 

 
 ひょっとすると・・・、読者の方々の中には、このブログ内の記事を読んで「自分の『遍路行』に役立てよう」と、考えておられる方もいるかもしれない。
 当然、誰もが閲覧できる「公開ブログ」を運営している以上、私からそのことを“咎める”ことは出来ませんが、ただ、今この記事をお読みになっている方が、いまだ遍路経験がない「初心者」であるならば、このブログを読むことはオススメ出来ない

 「四国八十八ヵ所」を参拝することは、“それ自体”で「かなり厳しい修行」になるのだ。それは、参拝“手段”の「徒歩」「車」を問わず、相当苦しいもの。多くの人は、徳島県にある「一番札所」からスタートするのだが、そのまま、遍路を続けて香川県の「八十八番札所」まで“完遂”する人は、それほど多くない。
 これは、自身のスケジュールなどの都合で「一度に全ての札所を巡ることができない」というのではなく、何らかの理由で「途中で遍路を諦める例が多い」ということだ。

 もちろん、遍路を途中で諦めるという場合、その理由は「人それぞれ」であろうが、少なくとも、初めて遍路を志す人」であるならば、「八十八ヵ所巡拝に徹する」のが「遍路完遂への近道」であり、そのことから、さらに難易度の高まる“番外・別格巡り”などを考えるべきではないだろう


 このブログでは自分の行ってきた遍路行を説明する都合上、番外、あるいは別格霊場の説明をしているだけなのです。


 そうなりますと、その四国八十八ヵ所以外に“主眼”が置かれた“このようなサイト”から、「情報」を仕入れることも、得策とは言えますまい。
 むしろ、現在では“初心者向け”の出版物やインターネット・サイトが数多くあるのだから、そこから「四国八十八ヵ所のみに特化した情報」を得るようにすることを、オススメしたいものです。

 その「例」として、以下の書籍を挙げておくことにする。

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横山 良一


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 上記の著者である「横山氏」は、私の得た情報からすると、四国八十八ヶ所を数回歩くことに成功し、さらには、今回のエントリで述べた番外札所の多くを踏破しているそうだ。
 そういった経験豊富な立場から「遍路に必要な情報」(特に歩き遍路)を厳選、しかも、文章力がそれなりにあり、分かりやすく簡潔にまとめてられている。

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「番外・別格巡り」とは

 前回は「遍路とは何か」ということについて説明し、その意味を「空海の修行地である八十八の寺を参拝すること」と、定義した。

 ただ、私が『海の遍路日記』と『四国・小辺路・奥駆道、踏破記』で行ったのは「八十八ヵ所巡り」に留まらず、それに

番外・別格巡り
というものを付加した。

 では、その番外・別格巡りとは何か──。

 そのことを、以下に記しておきたいと思う。



別格霊場へのいざない
近年混沌としたこの時代に、癒しを求めさまざまな人々が四国を巡られておられます。
四国は弘法大師の御生誕の地でもあり又御修行の地でもあります。御大師さまにまつわる信仰や伝説にもとづいて開かれた寺々は、八十八カ所霊場以外にもたくさんあります。
 別格霊場はその中でも御大師さまとご縁の深い寺院二十ヶ寺が結集した霊場です。この霊場の中には弘法大師さまをご本尊とする寺院も多くございます。
 別格霊場はすでに八十八ヶ所の巡拝を終えた方が改めてこの二十ヶ寺を巡り、あわせて百八ヶ寺として人間の百八煩悩を滅するのもよし、四国巡拝の道中に立ち寄られてみるのもよし、衆生を救わんとされる御大師さまの御誓願が伝わる親しみのある霊場であり、何と申しましても昔ながらのお遍路さんに対するお接待の心が残されている霊場です。
(強調などは「引用者」による)



 「引用文」にあるように、四国に点在する「八十八ヵ所霊場」は、弘法大師・空海を開祖と仰ぐことが多い。しかしながら、空海(「お大師様」「御大師さま」とも呼ぶ)によって開かれた寺、もしくは本尊とする寺は「八十八ヵ所以外にもたくさんある」のであり、「別格霊場」とは、そのような寺の中でも「御大師さまとご縁の深い寺院二十ヶ寺が結集した霊場」であるとしている。
 近年、

88+20=108
といった計算式からも分るように、四国八十八ヵ所と別格二十霊場とを同時に参ることは「人間に備わる108の煩悩を滅却することである」として
百八煩悩消滅お大師様の道
という呼称と共に、今では“別格巡り”というものは大いに賑わっているのだ。



 ただし・・・、“別格”という名称が付されているからと言って、その寺の“格が特別に高いわけではない”ということにも注意。

 寺同士の“格”(つまりは“序列”)はほぼ定まっており、別格霊場に加盟している寺が四国八十八ヶ所の寺よりも上位に格付けされるということはありません。



 「別格」という意味は、上記の引用と説明で理解できたであろう。
 次に「番外」であるが、これも、上記からおおよその答えは出ている。
 それを示すなら

1~88札所以
と考えればよい。

 「上記の引用」に推察できるように、「四国」というのは弘法大師・空海の生誕地であり(実際の生誕地は、現在の「香川県」)、また、修行地でもある。その空海の残した“足跡”というものは四国全土に及び、決して「八十八ヵ所のみ」ではないのだ。
 そのような、八十八ヵ所には含まれない寺で、自らの“存在”を主張するようになった例として、上述の「別格二十霊場」が挙げられるが、その他にも、数多くの寺が存在している。

 それらの“一端”を示すと、以下のようなものが挙げられよう。
・「四国三十六不動霊場
・「四国三十三観音霊場
・「四国曼荼羅霊場
 このような「●●霊場」と呼ばれるものは、大小含めて、四国には数多くあり、私の「番外・別格巡り」では、それらを一つでも多く参拝できるよう試みたのである。


 他にも、直接には弘法大師・空海に関係がなくとも、数多くの「修行者」(修験者)や江戸時代以降の「遍路」が参拝した場所にも、足を運ぶように努めた。
 それらは、「奥ノ院」と呼ばれる場所であったり、「神社」であったり、地元の有志の方々が管理されているだけの「お堂」であったりと、形態は様々だ。

 そのような「1~88札所に以」の場所を参拝することを、私は「番外巡り」と呼んでいるのである。



 以上述べた、「番外・別格巡り」という巡拝方法は、何も私の“専売特許”というのではなく、1990年に初版が発行された『四国遍路ひとり歩き同行二人』(へんろみち保存協力会)によって“発案”されたものなのだ。
 ただ、この本を待つまでもなく、弘法大師・空海を始めとする修行者や江戸時代以降の遍路は、四国において「四国八十八ヵ所」だけを参拝するだけではなく、その他の、数多くの場所にも足を運んでいたのだ。

 それを考えれば、私の行った「番外・別格巡り」というものは、現在のような四国八十八ヵ所巡りに“特化”した現状を鑑みれば、

昔ながらの遍路のスタイルを“踏襲
しているという違いがあるのだ。
 このことは、私個人が「自画自賛」しているというのではなく、四国で出会った多くの方々がそのように仰ってくれているものだ。




 ここにおいて、「読者」の方々に、注意を一つ。
 読者の方々の中には、このブログ内の記事を読んで「自分の『遍路行』に役立てよう」と、考えておられる方もいるかもしれない。
 当然、誰もが閲覧できる「公開ブログ」を運営している以上、私からそのことを“咎める”ことは出来ないが、ただ、今この記事をお読みになっている方が、いまだ遍路経験がない「初心者」であるならば、このブログを読むことはオススメ出来ない

 「四国八十八ヵ所」を参拝することは、“それ自体”で「かなり厳しい修行」になるのだ。それは、参拝“手段”の「徒歩」「車」を問わず、相当苦しいもの。多くの人は、徳島県にある「一番札所」からスタートするのだが、そのまま、遍路を続けて香川県の「八十八番札所」まで“完遂”する人は、それほど多くない。
 これは、自身のスケジュールなどの都合で「一度に全ての札所を巡ることができない」というのではなく、何らかの理由で「途中で遍路を諦める例が多い」ということだ。

 もちろん、遍路を途中で諦めるという場合、その理由は「人それぞれ」であろうが、少なくとも、初めて遍路を志す人」であるならば、「八十八ヵ所巡拝に徹する」のが「遍路完遂への近道」であり、そのことから、さらに難易度の高まる“番外・別格巡り”などを考えるべきではないだろう



 そして、その四国八十八ヵ所以外に“主眼”が置かれた“このようなサイト”から、「情報」を仕入れることも、得策とは言えまい。
 むしろ、現在では“初心者向け”の出版物やインターネット・サイトが数多くあるのだから、そこから「四国八十八ヵ所のみに特化した情報」を得るようにすることを、オススメしたい。

 その「例」として、以下の書籍を挙げておくことにする。

必携!四国お遍路バイブル (集英社新書)必携!四国お遍路バイブル (集英社新書)
横山 良一


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ちなみに・・・

 上記の著者である「横山氏」は、私の得た情報からすると、四国八十八ヶ所を数回歩くことに成功し、さらには、今回のエントリで述べた番外札所の多くを踏破しているそうだ。
 そういった経験豊富な立場から「遍路に必要な情報」(特に歩き遍路)を厳選、しかも文章力がそれなりにあり、分かりやすく簡潔にまとめてられている。

 「遍路に関する情報を大掴みに得たい」という方などには、最適な書物であろう。


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2008-02-17

「遍路」とは

 まずは、このブログで頻繁に出て来るであろう用語、「遍路」についての説明をしておくことにしたい。

 
 ここでは、その「遍路」という語についての説明を、このブログの“前身”でもある『四国・小辺路・奥駆道、踏破記』内の「『遍路』について」という記事から、必要な部分を引用していくことにする。

お遍路とは、四国霊場(八十八か寺)と呼ばれる弘法大師(空海)の修行の地をたどる旅のこと。八十八か寺すべての霊場をまわれば煩悩が消え、願いがかなうとされている。回り終えたら、弘法大師が入定{にゅうじょう}した和歌山県の高野山・金剛峯寺へ結願の報告に行く巡拝者も多い。
 弘法大師は、宝亀5年(774)讃岐国生まれ。真言宗の開祖で一説によれば、42歳の時に、自身と人々の厄難を除くため四国霊場を開いたと言われる。
 一方、「遍路」という言葉は古く、日本書紀に「遍土を巡る」とある。遍土とは海辺、山間の不便な土地を意味する。四国八十八か寺の道のりも、全行程1400礰、徒歩で回れば50~60日はかかる長い道のりだが、今では癒やし、自分さがしの旅として、幅広い年齢層に人気がある。
 通常、お遍路の方法はひたすら歩く歩き遍路と、これに電車、バスなどの公共交通機関や車利用の遍路、バスツアー遍路などがある。遍路に出る季節、予算や自分の体力に合わせて選ぼう。
 寺を回る順番は1番から順に巡拝する順打ちが一般的だが、逆から回ったり順に関係なく回ってもいい。最初から長期間の遍路は難しいので2~3日間試しに体を慣らしてから、改めて計画をたてたほうが無難だろう。
『読売旅行』赤字、引用者)


弘法大師(空海)が修行の場とした四国88箇所に開いたとされる霊場各所を巡り歩く巡礼の旅のことです。巡り方の交通手段は人それぞれなのですが、近年「歩き遍路」と呼ばれる昔ながらの歩いて回る人の増加が見受けられます。これには平均50日前後の時間を要します。それと同時に若いお遍路さんが増えてきているように思われます。
  最初に四国を修行する人々の様子が書かれるのは「今昔物語集(推定1140年前後)」で修行僧たちが伊、讃岐、阿波、土佐と四国の海岸を選んで修行していることから、当時、海の彼方にあると信じられていた神道上の世界「根の国」へ渡ることを願った修行の一環ではないかと考えられています。そしてこの中で注目すべきことが、修行が行われていた“海岸沿いの道や土地”のことを「辺地」(へち)と称している点です。辺地=辺路=偏=路=遍路となった説が有力視されています。
『NPO法人・遍路とおもてなしのネットワーク』赤字、引用者)


 上記の二つの引用は、遍路の歴史について触れ、また、その遍路が現代にまで続いていることにも、同様に触れている。
 それぞれの記述内容に相違はあるものの、「遍路とは何か」を考えてみた場合、それは各引用の赤字部分に示されているように

空海の修行地である八十八の寺を参拝すること


と、定義しても差し支えはあるまい。

 つまりは、八十八にも及ぶ「寺巡り」をするという意味からも、遍路というものは

宗教儀礼の一環

であると考えられるのである。



 事実、私自身も、四国においては“遍路の正装”とされる「白衣」(びゃくえ)に身を包み、参拝した寺院で手を合わせることを第一に、行動をするように心がけている。

 なぜなら、それこそが

遍路の務め

であるから。








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はじめに

 このブログは、高野山を起点に四国の様々な霊場を巡った記録を綴るべくWEB上にリアルタイムでアップした、『海の遍路日記』と『四国・小辺路・奥駆道、踏破記』の内容を統合した「記録集」である。


 以下、その内容の概略を、簡潔に記すことにしたい。



 上記の行程を成就すべく、居住地である東京を出発したのが、「2003年6月25日」。その翌日、真言宗の根本道場でもある、和歌山県の「高野山」へと到着した。
 そこから、「徒歩」を主たる移動手段とし、「徳島県」へ上陸。以後、徳島・高知・愛媛・香川の四国四県に位置する様々な霊場を参拝。
 ようやく、出発地である高野山へと戻ることが出来たのは・・・・・・、「2007年9月7日」。

 この間、長い“中断”こそあったものの、上記行程に要した期間は、実に「四年間」であった・・・・・・。


 それらの記録の大まかなモノは、既に紹介した『海の遍路日記』と『四国・小辺路・奥駆道、踏破記』に収められているのだが、残念なことに(?)、それらの記録は「旅の途上で日々更新する」という「リアルタイム日記」という形式を採用したため、内容は極めて簡潔。
 それ故、読者の方々からも、より「詳細な記録」を求められ、また、私自身も、そのような形で旅の記録をまとめる必要性を痛感していた所でもあった。

 しかしながら、“抜き差しならぬ事情”(笑)が勃発し、上記サイト、およびブログ内での更新を断念。

 この度、以前からお借りしていた、このブログ・スペースでの、更新を決意した次第である──。



 このブログの「編集方針」、とりわけカテゴライズに関しては追々詳細な解説を加えていくとして、まずは、このエントリを持って「ブログ開設のお知らせ」に代えさせて頂きたいと思う。

 そして、この拙いブログの内容が、訪問して下さった読者の方々を益するものとなることを、心から願ってやまない。


「キレンゲショウマ」(剣山にて)




昭和八十三年二月十七日

「元海」、記す





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