google-site-verification: google29e9fe9537bcd1c0.html 高野山⇔四国、往還の記: 遍路中に支援を下さった方々へ

2010-12-13

遍路中に支援を下さった方々へ

 既に述べたように、このブログで行なおうというのは、以前のウェブサイトで行なってきたことの続き。
 より具体的には、当時の遍路行を文字数制限や更新日時に捕らわれずに“再構築”するというコト。

 それをどのような“読者層”に向けて行うかといえば、まずは、「当時に何らかのカタチでワタクシを支援してくださった方々へ」ということになるでしょう。
 そもそものハナシ、2003年6月に立ち上げた『海の遍路日記』なるウェブサイトの目的は、

ワタクシを直接知る方々への“生存報告
というのが、その開設動機。
 そのために、特に“宣伝”めいたことも行なわず、また、アクセスする方はワタクシを知る“身内”であることを想定し、東京での生活と変わらない“普段着の更新”を心がけたものでした。


 このことは、誰もが一度は経験しているであろう、「旅先での知人へのメール」を想像してみれば分かり易いと思います。

 そこでは、例えば知人が一人や二人であれば、それぞれの知人の合わせた文面や内容のメールを送るのでしょうが、そんな知人が多ければ多いほど、そのメール作成には苦労させられるハズ。
 そんな“煩雑さ”を避けようと

ホームページを作ってそこに現在地の情報を書いておけばラクじゃないか?
と、その当時は考えたワケです。

 言うなれば「一々メール送るの面倒くせー。“生存情報”が知りたけりゃウェブにアクセスしろ」と、半ば“やっつけ”的に作成しましたのが、『海の遍路日記』だったというワケですw


 確かに、“それで済む”というのであれば、ハナシは簡単。
 「日記」に当たる部分には「現在地」「移動距離」を記し、最後に一言「疲れた・・・」なんてコトを書いておけばイイわけですから、それほどの苦労はない。
 それに「疲れて更新を忘れた」「電波が届かなかった」などと“言い訳”をしておけば、書きたくない日には書かなくても良いという“逃げ”も通用するモノw

 しかしながら・・・

それが許されなくなった“事情”が存する
というのが、実は『海の遍路日記』の“特異な部分”であるのです。


 この点に関しては、今まで多く語ることはしなかったですし、また語りたくもなかったコトも数多く含まれます。
 そして何よりも、そんな“特異な部分”があったからこそ、今まで沈黙を貫いて来ざるを得なかった事情があるのです。


 そんな“特異な部分”をあえて暴露しつつ、高野山から四国へと歩みを進める過程で

何が起こったのか
を記すのが、今回立ち上げたブログ、『高野山⇔四国、往還の記の主眼なのです。


 その「ブログの内容」(構成)は、「日記部分の補足」が、差し当たっては大きなウェイトを占めるコトとなるでしょう。
 当時、その日の行程などを記す「日記」に許された文字数は、たったの「250文字」。
 そういった制限下においては、当然のコトながらその日の出来事の大半は記すことが出来ず、“書く側”であるワタクシはモチロンのこと、そんな簡易更新を読まされる“読者側”にも、不満は残るコトでしょう。

 よって、そんな「日記の補足」を通じて「日々の行程の詳細」を記しておこうと考えております。

 第二には、「予備知識の伝授」といった内容。
 その「予備知識」には「遍路用語」も含まれるでしょうし、起こった出来事を理解する上で必要な「背景事情」といったモノも含まれるでしょう。

 コレは、「論文」における“脚注”といった役割を期待するモノですが、ワタクシを何らかのカタチで支援して下さった方の大半が“遍路未経験者”という事情もございますから、この点には多くの紙数を割くことになると思われます。

 第三に、「個人の意見」、あるいは「独自のメッセージ」の配信。
 『海の遍路日記』当時、多種多様な制約から“やりたくてもやれなかったこと”がございました。
 それは、上で述べた「行程の詳細」も含まれますが、何よりも

反論”が一切許されなかったこと
が上げられます。

 『海の遍路日記』はワタクシの預かり知らぬトコロで、いつの間にか「批判の矢面」に立たされることになりましたw
 まあ、その理由の大半はワタクシの「“オチャラケ更新”が原因」とも言えるでしょうがw “ワタクシの考え”に従えば、『海の遍路日記』の存在自体が、当時、一握りの遍路経験者が手中に収めていた

遍路利権”を揺さぶるモノ
であったと見ております。

 「出会い」「癒し」などをキーワードに遍路の素晴らしさを世に広めたいと考える“遍路利権保持者”にとっては、「遍路同士の衝突」「地元民との軋轢」を軸に、「警察との遣り取り」や「ウ○コ」のハナシまで平気で書き連ねる『海の遍路日記』というモノは、抹殺対象に指定されるような“邪魔者”以外の何物でもなかったでしょうw
 そういった記述を批判する
遍路利権保持者”に対して一々反論することは、当時も今も、取り立てて難しいことではございません。
 そんな批判をする者に対して

オレはこういった経験をした、お前はどう思う?
と、“遠まわしの反論”をするのが、実はこの『高野山⇔四国、往還の記』の“ウラの目的”にしたいと考えているのです。


 ココで、
『高野山⇔四国、往還の記』の大まかな内容をまとめておきましょう。
1、日記──日々の行程の詳細
2、脚注──「日記」部分理解のための予備知識
3、意見──“一般遍路”との相違点を中心に
 ワタクシが少々“不安”に思っているのが、こういった記述内容こそが「支援を下さった方々の“欲求”を満たすことになるのか?」というコトです。
 単純には、「『海の遍路日記』における簡易更新と
『高野山⇔四国、往還の記』における詳細更新との“ギャップ」を楽しむようにしていただければ問題はないのですが、おそらくはこのブログ自体が

そういった内容とはならない
という可能性が、現段階では非常に高いw

 それを考慮すれば、「見たくないものには目をつぶる」といった対処法が必要でしょうし、より“究極的”には

読むの止~めた
という決断こそが“最善の選択”であるような気がしてなりませんw


 従いまして、「遍路中に支援を下さった方々」におかれましては

読む、読まないは御本人の自由
というコトに委ねたいと思いますw
 それゆえに“足跡”(コメントを残す)というコトも強要いたしませんし、気が向いたら読んでいただくといったスタンスで、一向に構いません。

 せめて、このブログの存在自体が、支援して下さった方々へ、これまで何も語って来なかったコトへの

お詫びの印
というカタチで受け取っていただければ、ワタクシの更新目的は達成されたものと考えておりますから。


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