前回は「遍路とは何か」ということについて説明し、その意味を「空海の修行地である八十八の寺を参拝すること」と、定義した。
ただ、私が『海の遍路日記』と『四国・小辺路・奥駆道、踏破記』で行ったのは「八十八ヵ所巡り」に留まらず、それに
「番外・別格巡り」
というものを付加した。では、その番外・別格巡りとは何か──。
そのことを、以下に記しておきたいと思う。
別格霊場へのいざない
近年混沌としたこの時代に、癒しを求めさまざまな人々が四国を巡られておられます。
四国は弘法大師の御生誕の地でもあり又御修行の地でもあります。御大師さまにまつわる信仰や伝説にもとづいて開かれた寺々は、八十八カ所霊場以外にもたくさんあります。
別格霊場はその中でも御大師さまとご縁の深い寺院二十ヶ寺が結集した霊場です。この霊場の中には弘法大師さまをご本尊とする寺院も多くございます。
別格霊場はすでに八十八ヶ所の巡拝を終えた方が改めてこの二十ヶ寺を巡り、あわせて百八ヶ寺として人間の百八煩悩を滅するのもよし、四国巡拝の道中に立ち寄られてみるのもよし、衆生を救わんとされる御大師さまの御誓願が伝わる親しみのある霊場であり、何と申しましても昔ながらのお遍路さんに対するお接待の心が残されている霊場です。
(強調などは「引用者」による)
「引用文」にあるように、四国に点在する「八十八ヵ所霊場」は、弘法大師・空海を開祖と仰ぐことが多い。しかしながら、空海(「お大師様」「御大師さま」とも呼ぶ)によって開かれた寺、もしくは本尊とする寺は「八十八ヵ所以外にもたくさんある」のであり、「別格霊場」とは、そのような寺の中でも「御大師さまとご縁の深い寺院二十ヶ寺が結集した霊場」であるとしている。
近年、
88+20=108
といった計算式からも分るように、四国八十八ヵ所と別格二十霊場とを同時に参ることは「人間に備わる108の煩悩を滅却することである」として
「百八煩悩消滅お大師様の道」
という呼称と共に、今では“別格巡り”というものは大いに賑わっているのだ。ただし・・・、“別格”という名称が付されているからと言って、その寺の“格が特別に高いわけではない”ということにも注意。
寺同士の“格”(つまりは“序列”)はほぼ定まっており、別格霊場に加盟している寺が四国八十八ヶ所の寺よりも上位に格付けされるということはありません。
「別格」という意味は、上記の引用と説明で理解できたであろう。
次に「番外」であるが、これも、上記からおおよその答えは出ている。
それを示すなら
「1~88番札所以外」
と考えればよい。「上記の引用」に推察できるように、「四国」というのは弘法大師・空海の生誕地であり(実際の生誕地は、現在の「香川県」)、また、修行地でもある。その空海の残した“足跡”というものは四国全土に及び、決して「八十八ヵ所のみ」ではないのだ。
そのような、八十八ヵ所には含まれない寺で、自らの“存在”を主張するようになった例として、上述の「別格二十霊場」が挙げられるが、その他にも、数多くの寺が存在している。
それらの“一端”を示すと、以下のようなものが挙げられよう。
・「四国三十六不動霊場」
・「四国三十三観音霊場」
・「四国曼荼羅霊場」
このような「●●霊場」と呼ばれるものは、大小含めて、四国には数多くあり、私の「番外・別格巡り」では、それらを一つでも多く参拝できるよう試みたのである。
他にも、直接には弘法大師・空海に関係がなくとも、数多くの「修行者」(修験者)や江戸時代以降の「遍路」が参拝した場所にも、足を運ぶように努めた。
それらは、「奥ノ院」と呼ばれる場所であったり、「神社」であったり、地元の有志の方々が管理されているだけの「お堂」であったりと、形態は様々だ。
そのような「1~88番札所に以外」の場所を参拝することを、私は「番外巡り」と呼んでいるのである。
以上述べた、「番外・別格巡り」という巡拝方法は、何も私の“専売特許”というのではなく、1990年に初版が発行された『四国遍路ひとり歩き同行二人』(へんろみち保存協力会)によって“発案”されたものなのだ。
ただ、この本を待つまでもなく、弘法大師・空海を始めとする修行者や江戸時代以降の遍路は、四国において「四国八十八ヵ所」だけを参拝するだけではなく、その他の、数多くの場所にも足を運んでいたのだ。
それを考えれば、私の行った「番外・別格巡り」というものは、現在のような四国八十八ヵ所巡りに“特化”した現状を鑑みれば、
昔ながらの遍路のスタイルを“踏襲”
しているという違いがあるのだ。このことは、私個人が「自画自賛」しているというのではなく、四国で出会った多くの方々がそのように仰ってくれているものだ。
ここにおいて、「読者」の方々に、注意を一つ。
読者の方々の中には、このブログ内の記事を読んで「自分の『遍路行』に役立てよう」と、考えておられる方もいるかもしれない。
当然、誰もが閲覧できる「公開ブログ」を運営している以上、私からそのことを“咎める”ことは出来ないが、ただ、今この記事をお読みになっている方が、いまだ遍路経験がない「初心者」であるならば、このブログを読むことはオススメ出来ない。
「四国八十八ヵ所」を参拝することは、“それ自体”で「かなり厳しい修行」になるのだ。それは、参拝“手段”の「徒歩」「車」を問わず、相当苦しいもの。多くの人は、徳島県にある「一番札所」からスタートするのだが、そのまま、遍路を続けて香川県の「八十八番札所」まで“完遂”する人は、それほど多くない。
これは、自身のスケジュールなどの都合で「一度に全ての札所を巡ることができない」というのではなく、何らかの理由で「途中で遍路を諦める例が多い」ということだ。
もちろん、遍路を途中で諦めるという場合、その理由は「人それぞれ」であろうが、少なくとも、「初めて遍路を志す人」であるならば、「八十八ヵ所巡拝に徹する」のが「遍路完遂への近道」であり、そのことから、さらに難易度の高まる“番外・別格巡り”などを考えるべきではないだろう。
そして、その四国八十八ヵ所以外に“主眼”が置かれた“このようなサイト”から、「情報」を仕入れることも、得策とは言えまい。
むしろ、現在では“初心者向け”の出版物やインターネット・サイトが数多くあるのだから、そこから「四国八十八ヵ所のみに“特化”した情報」を得るようにすることを、オススメしたい。
その「例」として、以下の書籍を挙げておくことにする。
必携!四国お遍路バイブル (集英社新書) 横山 良一 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
上記の著者である「横山氏」は、私の得た情報からすると、四国八十八ヶ所を数回歩くことに成功し、さらには、今回のエントリで述べた番外札所の多くを踏破しているそうだ。
そういった経験豊富な立場から「遍路に必要な情報」(特に歩き遍路)を厳選、しかも文章力がそれなりにあり、分かりやすく簡潔にまとめてられている。
「遍路に関する情報を大掴みに得たい」という方などには、最適な書物であろう。
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