google-site-verification: google29e9fe9537bcd1c0.html 高野山⇔四国、往還の記: 「遍路」とは

2008-02-17

「遍路」とは

 まずは、このブログで頻繁に出て来るであろう用語、「遍路」についての説明をしておくことにしたい。

 
 ここでは、その「遍路」という語についての説明を、このブログの“前身”でもある『四国・小辺路・奥駆道、踏破記』内の「『遍路』について」という記事から、必要な部分を引用していくことにする。

お遍路とは、四国霊場(八十八か寺)と呼ばれる弘法大師(空海)の修行の地をたどる旅のこと。八十八か寺すべての霊場をまわれば煩悩が消え、願いがかなうとされている。回り終えたら、弘法大師が入定{にゅうじょう}した和歌山県の高野山・金剛峯寺へ結願の報告に行く巡拝者も多い。
 弘法大師は、宝亀5年(774)讃岐国生まれ。真言宗の開祖で一説によれば、42歳の時に、自身と人々の厄難を除くため四国霊場を開いたと言われる。
 一方、「遍路」という言葉は古く、日本書紀に「遍土を巡る」とある。遍土とは海辺、山間の不便な土地を意味する。四国八十八か寺の道のりも、全行程1400礰、徒歩で回れば50~60日はかかる長い道のりだが、今では癒やし、自分さがしの旅として、幅広い年齢層に人気がある。
 通常、お遍路の方法はひたすら歩く歩き遍路と、これに電車、バスなどの公共交通機関や車利用の遍路、バスツアー遍路などがある。遍路に出る季節、予算や自分の体力に合わせて選ぼう。
 寺を回る順番は1番から順に巡拝する順打ちが一般的だが、逆から回ったり順に関係なく回ってもいい。最初から長期間の遍路は難しいので2~3日間試しに体を慣らしてから、改めて計画をたてたほうが無難だろう。
『読売旅行』赤字、引用者)


弘法大師(空海)が修行の場とした四国88箇所に開いたとされる霊場各所を巡り歩く巡礼の旅のことです。巡り方の交通手段は人それぞれなのですが、近年「歩き遍路」と呼ばれる昔ながらの歩いて回る人の増加が見受けられます。これには平均50日前後の時間を要します。それと同時に若いお遍路さんが増えてきているように思われます。
  最初に四国を修行する人々の様子が書かれるのは「今昔物語集(推定1140年前後)」で修行僧たちが伊、讃岐、阿波、土佐と四国の海岸を選んで修行していることから、当時、海の彼方にあると信じられていた神道上の世界「根の国」へ渡ることを願った修行の一環ではないかと考えられています。そしてこの中で注目すべきことが、修行が行われていた“海岸沿いの道や土地”のことを「辺地」(へち)と称している点です。辺地=辺路=偏=路=遍路となった説が有力視されています。
『NPO法人・遍路とおもてなしのネットワーク』赤字、引用者)


 上記の二つの引用は、遍路の歴史について触れ、また、その遍路が現代にまで続いていることにも、同様に触れている。
 それぞれの記述内容に相違はあるものの、「遍路とは何か」を考えてみた場合、それは各引用の赤字部分に示されているように

空海の修行地である八十八の寺を参拝すること


と、定義しても差し支えはあるまい。

 つまりは、八十八にも及ぶ「寺巡り」をするという意味からも、遍路というものは

宗教儀礼の一環

であると考えられるのである。



 事実、私自身も、四国においては“遍路の正装”とされる「白衣」(びゃくえ)に身を包み、参拝した寺院で手を合わせることを第一に、行動をするように心がけている。

 なぜなら、それこそが

遍路の務め

であるから。







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