google-site-verification: google29e9fe9537bcd1c0.html 高野山⇔四国、往還の記: 2010-12

2010-12-13

遍路中に支援を下さった方々へ

 既に述べたように、このブログで行なおうというのは、以前のウェブサイトで行なってきたことの続き。
 より具体的には、当時の遍路行を文字数制限や更新日時に捕らわれずに“再構築”するというコト。

 それをどのような“読者層”に向けて行うかといえば、まずは、「当時に何らかのカタチでワタクシを支援してくださった方々へ」ということになるでしょう。

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2010-12-08

はじめに(再)

 当ブログは、2003年6月に高野山・奥之院から歩き始め、四国・徳島県へ。
そこから四国八十八ヶ所別格20番霊場、それに弘法大師や修験者とゆかりのある番外霊場を主に「徒歩」により参拝し、そして、2007年に再び高野山へと戻るまでの過程を描いた“紀行文”的な記録です。

 2008年2月、一度は立ち上げたこのブログではありますが、その後“諸事情”により頓挫。

 それから3年が経とうとする2010年の12月、“再起動”を決意した次第。


 そんな更新再開に当たって、先ずは、これから行なっていこうとする「当ブログについての説明」を。
 そもそものハナシ、ワタクシが遍路当時に体験したことなどを詳細に語る必要があるとすれば、それは「お世話になった方たちのため」であろう。
 その「お世話になった方たち」とは、2003年に長期間の遍路行へと出るに当たって“不義理をした人”であり、あるいは、遍路中に様々なカタチで“支援をしてくれた人”である。

 そういった方々へは、既に何らかの「報告」や「挨拶」を行なったつもりではありますが、人によっては遍路行の“詳細”を知りたいという方もおられるのかもしれない。
 否、ワタクシの方から「いずれ“詳細”については語らしていただく」と言った以上、それを守る必要があろう。

 そういった意味で、このブログで行おうとするのは、リアルタイム更新にこだわった『海の遍路日記』や『四国・小辺路・奥駆道、未踏破記』の
続き
である。


 ただ、その“続き”というのは「当時の状況を詳細に語る」というコトだけに止まらず、「当時にやらねばならなかったこと」も含まれる。

 まさに、その「当時にやらねばならなかったこと」が出来ないがゆえに、ワタクシは“ネット遍路”なる分野からの撤退を余儀なくされたという事情もあるのだ。


 したがって、当ブログの記述内容の中心となるのは

当時の状況を詳細に語る
当時にやらねばならなかったこと
の二点である。


 ただし、そんな“個人的なコト”を閲覧者が制限される「SNS」でもなく「公開ブログ」で行なうに当たっては、色々と“問題”がある。
 より具体的に言えば、それはこのブログを何らかの目的を持って閲覧する「読者層」に関して。
 「読者」の方が“読み間違え”や“勘違い”をせぬよう、何らかの“手引き”を記しておく必要があろうかと思う。

 以下、当カテゴリ「ブログ説明」では、想定される読者層、「お世話になった方々」「ネット遍路」「チャレンジャー」「これから遍路を行なおうとする方」「遍路に疑問を持つ方」に向けて、それぞれ「このブログの活用法」「ブログの歩き方」といった“ガイダンス”を記しておくつもりです。



 最後に、このブログはいずれ、かつての『海の遍路日記』がそうであったように、遍路業界へ様々な波紋を投げかけ、

遍路の“火薬庫
となる可能性をはらんでいる(苦笑)。

 そのコトを見越して述べておけば、

 ワタクシは「四国」へ行ったコトもなければ「遍路」を行ったこともございません。
 このブログに書かれていることは全て、作者の創作に基づく

フィクション
ですので、その点をお含みおきの事を
ってコトだw
12月8日
日本人が戦わねばならないと決意した日に




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